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 ■神林奨君追悼(金沢大学理学部物理学科同窓会報 第11号 1999より)



神林 奨君を偲ぶ

金沢大学理学部長
樋渡 保秋 (昭和39年卒)


 神林 奨君(昭和62年卒 同年、日本原子力研究所入所)が不慮の事故にて平成7年4月不帰の人となりました。一周忌にあたる平成8年4月に刊行された追悼文集に掲載の手記をここに転載させていただき、あれから4年余が経った今あらためて若くして逝った俊秀を偲ぶ縁といたしたいと思います。

 奨君が突然の交通事故で他界してしまった。これ以上悲しいことを経験したことがない。奨君と私はいわゆる師弟関係ではあるが、それのみにとどまらず友人として、研究仲間として10年近くのおつきあいをさせてもらった。奨君が私の直接の学生であったのは学部4年生の一年間に過ぎない。奨君は学部を卒業して直ちに原研に就職したのであるがその後も彼と私はずっと一緒に研究を行ってきた。その間2〜3カ月に一度のぺースで電話で連絡をとりあったり、東京または金沢で会ったりして研究のことプライベートなことなど話のはなを咲かせていた。これは私にとっても楽しいことであった。宿題(?)をキチンと片付けること以上に相当先にまで進んだ結果を彼から聞かされる度に、私はいい教え子をもったことに大変満足気味であった。私が彼に先生としての役目を果たせたのはごくわずかのことであったように思う。こんなことをやつたら面白いかもねとか、こんなことは他のところでもやるかもしれないのでやめておいた方がいいかもねとか、こんな類の話をしたことをよく覚えている。しかしその先のことは結局彼が一人で全てを行い、彼と会う度に新しい結果が見られるという楽しみがあるわけだからこんなにおいしい話がそうあるわけではない。

 奨君は結局液体論の重要な間遠である積分方程式の第一原理的解法に5?6年の歳月をかけることになりました。丁度大学院の年齢に相当する期間奨君は液体の分布関数の計算に打ち込みました。このため彼は仲間連中からg(r)(2体分布関数)の人とひやかされていましたが、彼の非凡な才能とたぐいまれな忍耐強い研究態度によってこの間題の解決に大きく貢献することが出来たのです。この結果は私をも十分に満足させてくれるものでありました。これによって奨君は学部卒業後5年半の短期間で理学博士の学位を金沢大学から授与されました。このスピード記録は今後もそう簡単には塗り替えられるものではないでしょう。この期間には1年間ウィーン工科大学(カール教授)への留学も含まれています。奨君はこのウィーン工科大学でも実に精力的に研究を行い、カール教授もその功績を高く評価されています。後年カールさんにお会いしたとき奨君の仕事の面だけではなく人柄のよさのことを大変褒めたたえていました。それで、奬君とカールさんは留学後も共同研究を最後まで続けることになったのです。

 奨君が交通事故に遭うほんの2〜3カ月前にも彼と新しい共同研究をスタートさせることを約束していした。この計画はこの4月から行うことにしていてその準備にとりかかっていましたがもう実現できなくなりました。本当に残念でなりません。彼の代わりの人を仮に見つけることができたとしても、彼の才能と人柄、研究に対する真筆な態度等々、奬君の代わりになる人を見つけることは永遠に不可能です。淋しい限りです。

 奨君が交通事故に遭う1週間程前に彼宛に1通の電子メールを送りました。「4月の物理学会の発表の当日にある人(女性)を紹介したいので待っていて下さい…」。奨君がこのメールを読んでいてくれたかどうかは分からない。奨君、僕が君を失ったことの無念さを誰に訴えればよいのか?

奨君、君は短い一生を一気に駆け抜けていきました。君の無念さは僕のそれと比べものにならないほど大きくつらいものでしょう。

奨君、君が僕の学生であったことをいつまでも誇りにしたい。そして今まで通りにこれからも僕の中で生き続けることでしょう。

奨君、健やかにお眠り下さい。

ウィーン工科大学留学中 カール教授宅にて

神林奨君の学位論文とウィーンからの手紙