研究発表

本研究は、千葉大学大学院融合科学研究科の坂本一之准教授を中心に、金沢大学理工研究域の小田竜樹教授をはじめとした国際共同研究チーム(日本・韓国・スウェーデン・ドイツ・イタリア)により実行された。

研究チームは、電子が有する3つの性質(電流の担い手である電荷、磁石の起源であるスピン※1、固体中での電子の動きを制御するバレー(谷)の性質)を組み合わせることに初めて成功した。ほとんどの半導体デバイスの材料として用いられているシリコン※2を使用して得たこの結果は、現在のシリコンエレクトロニクスデバイス※3を次世代のシリコンスピントロニクスデバイス※4につなげる大きな足がかりであり、今後のスマートフォンやタブレットなど情報端末機器の制御や、パソコンでの論理演算の高効率・省エネルギー化の開発を加速させるものである。

半導体デバイスは電子部品の根幹機能を担っており、身の回りのほとんどの電気製品に内蔵されている。現在、半導体デバイスでの情報伝達は電子の電荷の性質が担っているがその制御には多くのエネルギーが必要であり、固体中の欠陥※5などによる散乱で電子の流れが阻害されることで効率が低下するという問題がある。電子のスピンの性質を用いる半導体スピントロニクスデバイスは、より少エネルギーでの情報の制御が可能となるが散乱※6による効率の低下問題が残る。散乱問題の解消として電子やスピンの流れる方向を限定できるバレー※7の性質を組み合わせる方法があるが、過去に提案されたものは困難で実用からかけ離れていた。今回、結晶の対称性※8を利用することによって簡便な方法で3つの性質を組み合わせることができることがわかった。組み合わせによって散乱が抑制されていることを実験的に観測しており、高効率・省エネルギーの半導体スピントロニクスデバイス開発への道が切り開かれた

さらに、試料にシリコンを用いたことで現在の半導体産業技術をベースとして新しいスピントロニクスデバイス(バレートロニクス)へのスムーズな移行が期待できる。

本研究成果により、結晶の対称性を考慮することによって電子の有する電荷・スピン・バレーの3つの性質を組み合わせることができ、その結果、散乱を抑えた高効率・省エネルギーのシリコンスピントロニクスデバイス・バレートロニクスの開発が強く期待できる

本研究成果は、平成25年6月28日(金)発行の英科学誌Nature Communications」にオンラインで掲載されました。 http://www.nature.com/naturecommunications

Valley spin polarization by using the extraordinary Rashba effect on silicon“

28 Jun 2013, DOI: 10.1038/ncomms3073

[参考資料]
1.       非磁性体9のシリコンでスピンの性質が活用できるのは、スピン軌道相互作用10により固体表面や界面などの二次元電子系11で発現するラシュバ効果12に因る。また、本研究で用いたのは対称性を利用した特異なラシュバ効果であり、通常のラシュバ効果では不可能な100%スピン偏極度13を得ている。スピン偏極度もスピンの流れの効果に大きな影響を与え、数値が大きいほど効率は良い。
2.       バレーとは、上右図の電子運動量空間でのくぼみのことである。電子スピンは同じ向きのスピン(赤から赤、もしくは青から青)を有するバレーがある方向にしか進めない。x軸上だと上向きの赤いスピンは+xの方向、青色のスピンは-xの方向にしか進めない。
3.       本研究結果の概念図

電子の3つの性質を組み合わせることにより、固体中の欠陥(荒野の起伏)を意に介せず電子スピンは流れることができる。

 ≪本件に関するお問い合せ先≫

千葉大学 大学院融合科学研究科     准教授 坂本 一之

Tel: 043-290-3924 (090-5599-1577), Fax: 043-290-3924

e-mail: kazuyuki_sakamoto@faculty.chiba-u.jp

金沢大学 理工研究域       教授 小田 竜樹

Tel: 076-264-5676, Fax: 076-264-5740

e-mail: oda@cphys.s.kanazawa-u.ac.jp

 

【用語解説】

※1 スピン

物体が回転運動していると一般にスピンと呼ぶが、ここでは電子の自転運動を指してスピンと呼んでいる。電子のスピンには右回りと左回りの2種類ある。磁石の磁力は、主に電子のスピンが担っている。

※2 シリコン(元素記号Si)

半導体デバイスの主要材料。高純度のシリコンを作製することが可能であり、不純物を制御することにより電流を流すことができて、電子機器の半導体デバイスに使われる。

※3 シリコンエレクトロニクスデバイス

シリコンを主要材料として、電子の働きを応用し、信号の増幅などの(能動的)仕事をする 素子。

※4 シリコンスピントロニクス

スピントロニクスとは、スピンとエレクトロニクスを合わせた造語。電子が有する電荷(電流)信号だけでなく、スピン信号をも利用する分野。シリコンスピントロニクスは、スピントロニクスの材料としてシリコンを利用する分野。シリコンエレクトロニクス分野には、これまで学術的・技術的蓄積が膨大に存在し、スピンとの組合せにより高性能デバイスの開発が期待されている。

※5 固体中の欠陥

固体(結晶)中では、原子が規則正しく配列しているが、原子がいるべきところにいない場合や配列の規則が途中で変化したりする場合がある。これらは、一般に欠陥と呼ばれ、欠陥付近では、急激にエネルギー地形が変わるため、電子の流れの速度が変わるとともに流れにくい原因となる。

※6 散乱

電子が流れる際に欠陥や不純物などにより、流れの方向や大きさが変化すること。散乱の際には、電子から不純物等へ流れのエネルギーが渡され、流れの効率が低下する。

※7 バレー(谷)

半導体には、電子が流れる道や流れ方を決めている複数のバレーがある。半導体によりバレーの数や個々の特性が異なっている。

※8 結晶の対称性

原子配置の幾何学的対称性を指す。上面図で120度回転させると元の構造にもどる対称性を有しているが、これを考慮して、バレーとスピンと電荷の性質を結びつけることが可能となった。

※9 非磁性体

鉄に磁石を近づけると鉄が磁石の働きを持つようになるが、磁石を近づけてもほとんど磁石の働きをもつようにならない材料や物質のこと。

※10スピン軌道相互作用

電子は、スピン(自転)の回転と原子核周りの周回運動により、運動に必要なエネルギーが異なる。タリウム原子では、右回り(左回り)スピン電子が原子核を左回り(右回り)に周回運動する場合にエネルギーが低く、そのような状態が、まず第一に実現する(コマの図参照)。負電荷をもつ電子は正電荷をもつ原子核に近づくときに引きつけられて加速されるが、速度が光速に近づくような場合、つまり相対論効果が顕著になるときに、この相互作用は大きく現れる。スピントロニクスは、この作用をエレクトロニクスに積極的に利用する分野である。

※11二次元電子系

半導体材料などの固体中では原子が三次元的に配列していることから、電子が流れる道も三次元的構造を有するが、材料の表層では二次元的な周期性に由来して、二次元的な構造をもつ。

※12ラシュバ効果

1960年にE. Rashbaにより提唱された効果。二次元電子系において、右回りスピンと左回りスピンの電子が流れる道が分裂する現象のこと。

※13スピン偏極度

電子の流れを考える場合に、右回りスピン電子と左回りスピン電子が、どの程度偏っているかを示す。100%偏極は、右回りまたは左回りのスピンのみの流れを指し、0%偏極は通常の電流を指す。今回の実験では、理論計算で予想した通りの、ほぼ100%偏極した2種類のバレー(図で赤色と青色のバレー)を構築することに成功した。